サントリー次世代環境教育「水育 (R)」

「水」について楽しく学ぼう!

古代四大文明こだいよんだいぶんめいを育んだ大河たいが2

古代四大文明こだいよんだいぶんめいは、全て大きな川のそばで発展はってんしました。作物を育てるのにも、人がらすためにも、ものを運んだり、遠くへ移動いどうしたりするためにも川を利用りようしたのです。では、古代四大文明こだいよんだいぶんめいとよばれる文明は、それぞれ大きな川のある場所でどのように発展はってんしていったのでしょうか。

古代四大文明こだいよんだいぶんめいを見てみましょう!

古代四大文明(こだいよんだいぶんめい)の成立(せいりつ)した場所
古代四大文明こだいよんだいぶんめい成立せいりつした場所

<ア. 古代メソポタミア文明>

古代メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラテス川にはさまれた場所で発展はってんしました。ここは、今のイラクにあたる地域ちいきです。ゆたかな土地には野生の麦が生えていて、ずいぶん昔から、人びとはそれを育てながらここでらしていました。

  A. 文化のとくちょう

  •  こう水の時期を予測よそくするために、天文学が発達はったつしました。月のけをもとに1週間を7日にして、こよみをつくりました。
  •  「くさび形文字」を発明し、神話などをのこしました。
  •  川のそばのどろでつくったしつのよいレンガを発明、きょ大な神でんをつくりました。

  B. 水とのかかわり

土地がひくいところにあったため、川がこう水を起こすと、上流の山から流れてきた塩分えんぶんざった水が畑や町にあふれてしまいました。こう水にふくまれる塩分えんぶんは土じょうにのこり、作物が育ちにくくなる塩害えんがいを起こしました。人びとはこの塩害えんがいとのたたかいをつづけなければなりませんでした。また、きょ大な神でんをつくるために森の木ぎが切られ、そのためこう水のがいが広がりました。これが、その後都市をおとろえさせた、大きな原因げんいんの1つではないかと考えられています。

<イ. 古代エジプト文明>

古代エジプト文明は、ナイル川に沿って生まれた緑の土地にさかえました。エジプトは雨が少なく気温も高い、きびしいばくの気候きこうです。それでも、ゆたかな土地ができたのは、ナイル川が毎年はんらんし、山の養分ようぶんをたっぷりふくんだ黒土をもたらしたからです。人びとは、はるか昔から、畑や牧場ぼくじょうをつくり、集落をつくってらしていました。

  A. 文化のとくちょう

  •  石がたくさんとれたので、石でつくるきょ大な建物たてものがたくさんできました。ピラミッドやスフィンクスなど、今でも見ることのできる有名なせきは、古代エジプト文明のシンボルです。
  •  ナイル川の下流に生えていたパピルスという草で、ふねや紙をつくりました。
  •  ヒエログリフという象形しょうけい文字が発明され、紙に記録きろくのこしました。
  •  ナイル川のこう水を予測よそくするために、天文学が発達はったつしました。また、ミイラをつくるための医学なども発達はったつしました。

  B. 水とのかかわり

ナイル川は、毎年はんらんを起こしました。この間、人びとはていぼうの上でひなん生活をします。こう水がおさまるともどり、川の運んでくれた土に11月にたねをまき、3月、4月にしゅうかくしました。このようにめぐみをあたえてくれるナイル川を、人びとは「ハピ神」としてうやまい、感謝かんしゃしてらしていました。

<ウ. 古代インダス文明>

古代インダス文明は、今のパキスタンとインドにまたがった地域ちいきで、インダス川のほとりを中心に発達はったつしました。人びとは集落をつくって、ゆたかな土地を利用りようした作物や、土器どきやレンガをつくりながららしていました。

  A. 文化のとくちょう

  •  水の設備せつびが、整っていました。家にい戸やふろ場、トイレがあり、まちには下水道もつくられていました。
  •  計画都市がつくられていました。道路はきちんと計算にもとづいてつくられ、たたかいや守りの要所ようしょと、人びとがらす場所はしっかり分けられていました。
  •  他の地域ちいきとの交流がさかんでした。インダス川や海のルートを使って、メソポタミアとも交流がありました。
  •  インダス文字が発明されました。

  B. 水とのかかわり

インダス川は、ヒマラヤの雪どけ水をみなもとにする川です。毎年6月〜8月になると下流ではんらんを起こし、川の流れの道すじがわってしまうこともありました。人びとは川のめぐみに感謝かんしゃしていましたが、この予測よそくできないこう水には、なやまされていました。中心となったモヘンジョ・ダロのまちには、体をきよめるためにもくよくをするための広い場所があり、そこは王のみがいのりに使う神聖しんせいな場所とされていました。水で体をきよめるということが、大切にされていたのです。 また、使った水は、レンガでつくられた精密せいみつな下水路に流されます。下水路には、ごみやよごれを取りのぞく仕組みもあり、よごれた水の一部は土にしみこみ、きれいになった水だけがふたた自然しぜんへ帰るようになっていました。

<エ. 古代中国ちゅうごく文明>

中国ちゅうごくを流れる2つの大きな川、黄河こうが長江ちょうこう中国ちゅうごく最初さいしょに生まれた文明は、この2つの川のほとりで発展はってんしました。黄河こうがまわりではヒエやアワを、長江ちょうこうまわりでは米をつくりながら、人びとはらしていました。

  A. 文化のとくちょう

  •  細かい模様もようをつけた、青銅器せいどうきがつくられ、美術びじゅつ工芸こうげい発達はったつしました。しっ絹織物きぬおりものなどもつくられていました。
  •  こうこつ文字がつくられ、これがやがて漢字に発展はってんします。

  B. 水とのかかわり

黄河こうがが流れる地域ちいきは、もともとかわきやすい土地です。黄河こうがまわりには、黄土とばれる黄色っぽい土がたくさんあります。この土は水をいやすく、作物を育てるのによい土でした。また、いな作をおこなう地域ちいきでは、もっとたくさんの水を引くために、長い水路がはりめぐらされました。その後の時代、今からおよそ1400年前(日本にほんでは聖徳太子しょうとくたいしの時代)のずいの時代につくられた水路は、長さがやく1,500キロメートルにもなります。

大きな都市をつくるには、水が必要ひつようなんだね。水はらしや農業に使われるだけでなく、遠くの地域ちいきのものや人、その人びとの考え方や文化まで運んでくれた、重要じゅうような道でもあったんだ。川に感謝かんしゃしながら生きていた昔の人たちは、水の大切さやありがたさを理解りかいしていたんだね。

【参考文献】

 ・ポンティング・C/著『緑の世界史』 朝日新聞社

 ・湯浅赳男/著『環境と文明—環境経済論への道』 新評論

 ・伊藤道治/著『図説世界の歴史2 —アジア国家の展開』 学習研究社

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