水を入れる容器・水とう
わたしたちは水の無い場所へ行くとき、ペットボトルの飲みものを買ったり、水とうにお茶をつめたりして、飲みものを持っていきます。水分をとることが、人間にとってとても大切だからです。大昔の人達は、どのようにして水を持ち運んでいたのでしょうか? 水とうの歴史をのぞいてみましょう。
1. 命を支える道具・水とうの歴史
人間は水を飲まずに過ごすことができません。人類が誕生した大昔から、きっと人びとは水を持ち歩く道具を、工夫したにちがいありません。今のようにプラスチックも金属もない時代には、さまざまなものが水とうとして利用されていました。
<ア. ヒョウタン>
ヒョウタンはアフリカ生まれの植物ですが、大昔の中国、タイ、メキシコ、ペルーなどでも発見されています。日本にも縄文時代にはすでに伝わっていました。水とうだけでなく、縦に割って水をくむひしゃくにしたり、おわんにしたり、いろいろな道具として使われていました。
ヒョウタン水とうの作り方
1) 実が完全に熟すのを待つ
2) 実の果肉をきれいにとって、からをかわかす
3) 真ん中にひもをかけて、口にふたを差しこんでできあがり!
<イ. 竹>
東アジアでよく使われました。日本でもヒョウタンと同じようによく使われ、今の水とうのモデルになりました。昔は「つつ」「ささえ」と呼ばれていました。
竹水とうの作り方
1) 一節分で輪切りにする
2) どちらかの節に穴をあけて、飲み口にする
3) 穴にふたを差しこんで、できあがり!
<ウ. それ以外>
今から約5000年前には、動物の皮をなめしていろいろなものをつくる技術がありました。ヨーロッパや中国では、動物の皮をなめしてしっかりとぬいあわせたふくろをつくり、それに水やワインを入れて持ち運んでいました。また中央アジアの遊牧民は、動物の胃ぶくろなどをそのままふくろとして使い、水とう代わりに使っていました。モンゴルの人びとは、馬乳酒をつくるときに、今でも革のふくろを使っています。
日本でも、古墳時代にとう器でつくった水の入れ物がありました。すえ器と呼ばれるものです。ただ、とても重くてこわれやすいので、本当に水とうとして使われていたかどうかはわかっていません。
ヒョウタンと竹の水とう、皮の水ぶくろ
2. アルミの水とうからま法びん、ペットボトルへ
日本の近代から現代で、水とうがどのように変わっていったのかを見てみましょう。
1) アルミの水とう
日本でアルミの水とうがつくられたのは1897年(明治30年)です。日露戦争で戦う兵士達のために、軽くてじょう夫なアルミ製の水とうがつくられたのです。この水とうは、武器や鉄ぽうのたまなどといっしょの工場でつくられていました。
2) プラスチックからステンレスへ
第二次世界大戦が終わった後は、技術の発達がめざましく、プラスチック製の水とう、軽くてじょう夫なステンレス製の水とうと、水とうも次つぎに進化していきます。
3) お茶が冷めない「ま法びん」登場
昭和30年代になると、「ま法びん」が広がり始めます。
もともと、ま法びんは、明治の終わりにドイツ人とイギリス人の学者によって発明されました。熱いお茶を熱いままにとっておける、まさに「ま法のような」道具でした。これが日本にも伝わり、国産品第1号のま法びんがたん生しました。昭和50年代にはステンレス製のま法びんがつくられ、持ち運びができ、保温もできる水とうとして、広まりました。
アルミの水とう、初期のま法びん
4) 現代の水とうは?
今は、日本中の道路には、たいてい自動販売機があり、冷たいものも温かいものも、飲みたいときに選んで買うことができるので、水とう代わりにペットボトルを買って利用する人もいます。
ペットボトルにはいろいろな大きさがあり、目的によって選ぶことができます。ボトル専用のホルダーをつければ、保温できたり、簡単にかたからさげることもできます。軽くてとても便利ですが、使った後のペットボトルは、きちんと分けて捨てないとごみになってしまいます。水とうは、何度でもくり返し使えてごみを出さない、よい点があります。ペットボトルの飲みものを買うときには、きちんと資源ごみとして捨てリサイクルできるように、責任を持つことが、大切です。
水とうはなくてはならない道具だから、昔からみんな工夫していたんだね。世界の中には、今でもそんな昔ながらの水とうを使っているところがたくさんあるようです。日本にいるとなかなか気づかないけれど、その人達と同じくらい、水のありがたさを忘れないようにしたいな。