弥生時代
これまで、弥生時代の始まりは紀元前4世紀〜3世紀ごろとされてきましたが、最新の説では、水田いな作が始まったのは500年以上早まり、弥生時代のスタートは紀元前10世紀ごろとされています。
縄文時代後期から始まったいな作(稲づくり)が、弥生時代には本格的になります。水田での米の収かくは、弥生人の生活を豊かにしましたが、同時に水と豊かな土地をめぐる戦いが始まることにもなりました。
1. 水田とい戸のある暮らし
弥生時代、日本列島は海面が下がった結果、海岸線が後退し、方ぼうの海沿いにちょうどよいぬま地や干がたができていました。水田をつくるのにはうってつけの場所です。人びとは、そこに水田をつくり、近くの高台にムラをつくって暮らしました。
水田でのいな作が始まった
水田でのいな作が始まると、そのための水を手に入れるため、また、おいしい水を飲むために、い戸がつくられ始めました。東京都の馬場遺せきではわき水をためておく共同水場のあとが発くつされています。水場の底には砂利や竹をしきつめて、水をきれいにしようとしていました。ここでは水場から水田まで水を引いた水路も見つかっています。また、奈良県にある唐古遺せきからは現在のい戸の原型となるほりぬきい戸(地下深くまでほったい戸)のあとも見つかっています。
台風やこう水などの自然災害は育てた稲をいためつけます。弥生時代の人びとのそのひ害を防ぐ技術はとぼしいものでした。神にいのりをささげるしかなく、春は豊作を願い、秋は収かくを祝うようになりました。
2. 水をめぐる争い
縄文時代とちがい、弥生時代にはムラ対ムラの戦いが起こりました。弥生時代の遺せきからは、武器で傷を受けた人の骨などが見つかっています。
争いの主なきっかけとなるのは、水田をつくるのによい土地と水源でした。水と農地をめぐる戦いは、やがて地域の勢力争いへと発展していきます。
豊かな土地と水源を持てば、ますます豊かになり、強いムラと弱いムラの差は開いていき、身分のちがいが生まれてきました。
もっと“わくわく!”水コラム 「すい飯の始まり」
収かくした米は、焼いたりむしたりして食べていましたが、さらに、弥生時代には今と同じようにすい飯も始まったとされています。
弥生時代の土器で、底を丸くしたり、うすくしたりして、熱が伝わりやすい形にしたものが見つかりました。これは、土器をすい飯に使うための工夫だと考えられています。
弥生時代には水田でのいな作が始まって、水がたくさん必要になり、水は人にとって大切な資源になっていった。水をめぐる争いが始まったのもこのときなんだね。
【参考文献】
・大貫静夫『最近の弥生時代年代について』Anthropological Science Vol.113. 95-107. 2005