近代
明治時代になり江戸幕府がおこなってきたさ国が終わり、日本と世界がつながると、おう米からさまざまな技術を持った人びとがやって来ました。ポンプを使う近代水道や近代運河をつくる技術が伝わり、日本は大きく変化していきました。一方、コレラなどの伝染病の流行も始まりましたが、この伝染病がきっかけとなって、日本に近代水道が整備されました。
1. 近代上下水道整備
江戸時代の終わりに開国した日本は、お染された水を飲むことにより感染する、コレラなどの伝染病になやまされることになりました。
明治政府は初め、かん者を他の人からかくりし、消毒もおこなうことでコレラを減らそうとしましたが、流行はやまず、上水道を整備することを決めました。
日本で最初に近代上水道を引いたのは横浜です。水道を引いた成果は著しく、水道が増えていくと共に、コレラの発病が激減しました。
また、ポンプで圧力をかけられた近代水道の水流は消火能力が高く、防災の面からも、上水道は大変期待されるものでした。
1890年(明治23年)に「水道条例」が制定されました。消火せんの設置が義務付けられ、水道の経営は地方自治体に任されるようになりました。
近代下水道もコレラの流行がきっかけとなってつくられ始めましたが、上水道より後回しにされ、1922年(大正11年)にやっと、日本初の下水処理場が運転を始めることになりました。
2. 近代運河の開発
外国人技師の力を借りて、運河の建設も進められました。運河が通れば船でものをたくさん運ぶことができます。
運河と貨物船
例えば、1890年(明治23年)には、利根運河が完成します。利根川の中流と、東京まで流れる江戸川をつなぐ運河で、これができたことにより、輸送力がぐんと高まりました。
明治30年代になると、運河を使った交通や貨物輸送は、鉄道に取って代わられることとなり、運河はだんだん使われなくなっていきました。
日本が開国し外国からいろいろな技術がやって来て、新しい水道や運河がつくられたんだ。日本が水がきっかけとなって大きく進歩した時代なんだね。