世界の運河と人びとの技術
船は遠いきょりを移動するために太古より使われてきた乗り物です。道路や線路をつくらなくても、川や湖や海などをそのまま利用できるからです。水の道さえあれば、船はどこへでも行くことができます。人間は必要なルートに川がない場合、運河という人工河川を建設してきました。ここでは、世界のいろいろな運河や、運河をつくった人びとの技術を見てみましょう。
1. 運河をつくる技術
運河というのは、陸地をけずってつくられた人工の水路のことです。船が通れるように川や湖を深くほったり、はばを広げたりしてつくります。安全な運河をつくるためには、次のような点が大切になります。
- できるだけ河しょうのこう配が小さいこと
- 水の流れがゆっくりであること
- 深さが十分であること
今から300年〜400年前、より安全に速く、大きな船も進むことのできる運河をつくるための技術が開発され、ヨーロッパで盛んに運河が建設されました。
もとはつながっていなかった2つの川を運河でつなげるとき、両方の川の高さがちがうと、そのままつなげることはできません。水路でつなげたとたんに、高いほうから低いほうへ水が流れこみ、低いほうの川がはんらんしてしまう危険があるからです。高さのちがう川や運河を、どうやって安全につなげるかが、運河をつくる技術のかぎです。今使われているのは、次のような方法です。
<ア. 船を閉じこめる! ロック式>
運河を水門2つで区切り、その中に一度船を閉じこめます。閉じこめた後に、その中に水を入れて水位を上げて、高い運河へ入ることができるようにします。低いほうへ移るときは、逆に水をぬいて水位を下げ、低い運河へ入ることができるようにします。
パナマ運河がこの方法を使っています。日本でも、埼玉県の見沼の水路などでもこの方法が使われています。
ロック式の仕組み
このようなロック式の運河の他に、インクライン式(船をロープウェーのような台車で引く)、リフト方式(船をエレベーターのようなもので持ち上げる)などさまざまな技術があります。
2. 日本の技術がつくった! スエズ運河
スエズ運河は紅海と地中海を結ぶ、長さ162キロメートルの大運河です。1年に約1万5000せきもの船がこの運河を通ります。この運河ができるまでは、ロンドンからシンガポールまで100日以上かかっていましたが、1869年(明治2年)に開通した後は、約40日で行けるようになりました。
スエズ運河の場所
最初にできたころの運河は、底のはばが22メートル、深さ7.9 メートル、5万トンクラスの船までしか通行できない、せまいものでした。これを、現在のような大運河にするために、日本の技術が生かされました。
1958年(昭和33年)から始まった運河を広げる計画で、工事をうけおったのは日本の建設会社でした。スエズ運河の底の岩ばんはとてもかたく、それまで使っていたカッターではとても歯が立ちません。技術者達は、カッターの歯の改良を重ねました。そして苦労の連続の末に、ようやく世紀の大工事が完成したのです。
運河の工事は2回に分けておこなわれ、およそ15年をかけて、現在の姿になりました。はばは160 メートル以上、深さ約20メートル。15万トンクラスの船が通行できる、世界の運河になったのです。
3. アメリカとアジアを結ぶ・パナマ運河
パナマ運河の場所
パナマ運河は、長さ80キロメートル、1年に約1万3000せき〜1万4000せきの船が通る、国際的な運河です。アメリカとアジアを行き来する船が大きな割合をしめます。アメリカから輸入している小麦などの農作物も、この運河を通って日本へ運ばれています。
工事が始まったのは、1881年(明治14年)のこと。最初は、この地方にたくさんいるカがうつす病気、マラリアや黄熱病に苦しめられ、一度は工事が中断されました。その後病気の予防がしっかりできるようになり、1904年(明治37年)に再び工事が開始され、1914年(大正3年)に完成しました。
海の高さに差があるので、3か所に水門で区切った場所をつくり、ロック方式で船を通行させています。この運河の建設にも、日本人の技術者が参加しました。この技術者はパナマ運河の工事に参加した後、日本で荒川の放水路などの建設にも加わりました。