サントリー次世代環境教育「水育 (R)」

「水」について楽しく学ぼう!

平安へいあん時代

平安へいあん時代は、794年奈良ならから京都きょうと平安京へいあんきょうへ都がうつってから鎌倉幕府かまくらばくふ樹立じゅりつされるまでのやく400年間を指します。

農民のうみんらしはやはりまずしく、日照ひでりやこう水などによってききんが起きると、ぜいおさめられず苦しんでいました。一方、都はきらびやかでした。地下水が豊富ほうふ京都きょうとでは、貴族きぞくが屋しきの中に水を取り入れて、その美しさをきそい合っていました。

1. 水の美しさを楽しむしんでんづくり

平安京へいあんきょうは、水がゆたかな場所だったので、貴族きぞくの屋しきの中には暑い夏にすずむため、あるいは遊びのためだけにつくられた水場がありました。こうした水場をつくる伝統でんとうは、室町むろまち時代までのこっていました。

しんでん造(づくり)
しんでんづくりの庭

貴族きぞくの屋しきはしんでんづくりばれるもので、しんでんという大きな建物たてものを中心にして、その両側りょうがわに、わたりろう下や屋根つきの橋をはさんで、小さな建物たてものがありました。しんでんの南の庭には池がつくられます。庭にしいた石の上を、いずみからあふれた水が流れていたり、わたりろう下の下に小川を流してあったり、水が存分ぞんぶんに取り入れられ、庭に一番大切なのは美しい水だとされていました。池に面してっている「つりどの」とばれる建物たてものがつくられて、池をながめて楽しめるようになっていました。

2. 空海くうかい治水ちすい

空海(くうかい)
空海くうかい

空海くうかい弘法大師こうぼうだいし)は仏教ぶっきょうの教えにしたがい、人びとを苦しみから救済きゅうさいするために、数多くの土木工事、とく治水ちすい工事を手がけました。

四国の讃岐さぬき平野には、当時も今も日本にほん最大さいだいのため池「満濃池まんのういけ」がありましたが、そのていぼうが3年もこわれたままで、人びとは大変たいへんこまっていました。そこで、空海くうかいが821年、満濃池まんのういけの工事を始め、数か月でていぼう完成かんせいさせたといわれています。

また、空海くうかいとう中国ちゅうごく)からい戸ほりの技術ぎじゅつを持ち帰り、人びとに教え広めました。全国のあちこちに、「弘法大師こうぼうだいしがほったい戸」の伝説でんせつのこされています。

もっと“わくわく!”水コラム 「おいしい水でとうふづくりが始まる」

とうふづくりは、平安へいあん時代のすえ中国ちゅうごくからつたわったといわれています。とうふはやく80パーセント〜90パーセントが水でできているので、おいしい水でつくることが、おいしいとうふをつくる条件じょうけんになります。京都きょうとは、おいしい水に大変たいへんめぐまれていましたので、京都きょうとの水でつくられるとうふは、京都きょうとを代表する食べ物となりました。

平安へいあん時代には、農業のための治水ちすいがおこなわれただけでなく、貴族きぞくの生活の中に、水の美しさが取り入れられていったんだね。

【参考文献】

 ・守田敏也/「空海と満濃池と社会的共通資本」同志社大学社会的共通資本研究センター  ディスカッション・ペーパーNo17

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